横須賀で恩人の蔵書整理をする、の巻

横須賀で恩人の蔵書整理をする、の巻

  二月某日見知らぬご婦人から、私はYの妹だが先日兄が他界した、その一人住まいの横須賀のマンションから貴店宛に送ろうとした古書の箱がみつかったのでお知らせする、と電話があった。
 Y氏は私の父の友人であり私自身の恩人でもある。万難を排し行くべき時と思えた。幸い先方(妹さん)は、残された蔵書の処分を弊店に任せてくれると言う。
 羽田に飛び都内で所用を済ませたあと1日前に横須賀に入る。街を徘徊することもなく一人で夕食―いわゆるぼっち飯をとる。脳内では京浜急行電車の中から「横須賀ストーリー」が鳴りっぱなしだ。
 翌朝京急久里浜駅に到着。小春日和に誘われバスを見送って、半時間ほどの距離を徒歩で向かう。途中郵便局で荷物の伝票を手に入れ段ボールの手配を頼む。「急な坂道駆けのぼったら 今も海が見えるのでしょうか」と脳内で山口百恵が歌い、果たして坂の上からは海が見えた。駆け上りはしなかったが。
 東京湾を臨むY氏のマンションで妹さんと初めてお会いし、仏前で手を合わせひとしきり故人の話をする。そこで徐々に生前のY氏に抱いていた小さな疑問が氷解していった。
 Y氏は背が高くダンディーで快活で、金回りも気前も良かった。話は華やかで面白く、様々な文化人が生身の人間として登場した。就職に失敗し悶々とした日々を送っていた若い私にとっては、憧れの大人の男だった。
 私がY氏の港区の事務所に顔を出すたびに彼は高級店で食事をふるまい、豪華な海外旅行に一人で行った話をした。結婚はしているらしいが家庭の臭いは全くしなかった。
 今回知ったのだが、妹さんによればY氏は彼自身がつくった原因で家族と疎遠になったという。ふたりの娘もY氏を嫌い、葬儀にも顔を出さなかった。その原因とは妻への暴力だった。
 なんともはや。
 任された蔵書整理をしていると、写真のアルバムが出て来た。「博多」と書かれた数ページがあり、そこに見たこともないほど若い私の両親の写真を発見した。私自身が生まれる前の写真だった。妹さんにこの発見を知らせると、彼女はそのページを切り取って私に渡してくれた。
 もうひとつ発見をした。古い「セイカノート」の束。つたない字で少女の名前が書かれている。家庭の臭いをさせなかったダンディーなY氏の尻尾をつかんだ気がした。これも妹さんに渡す。「兄は娘たちには最後まで会いたいと言ってました」。
蔵書整理のさなか、隣人でY氏の最期の友人だったというZ氏が来て話を聞かせてくれた。
 あれほどの美食家だったY氏が辺鄙なこの町で何を食していたかが疑問だったのだが、
この点ではやはり散々悪態をつきつつもやむなく駅ビルにあるレストランで一人食事をしていたという。酒を飲まない彼はそのあとセルフサービスのコーヒーショップで時間をつぶしていたらしい。「横須賀は ぼっち飯が よく似合う」と下手な句をひねる。
 すべての蔵書整理を終え妹さんに別れを告げタクシーで駅へ向かう。
 駅ビルのコーヒーショップの横を通る時Y氏が座っている様がまざまざと浮かんだ。京急の電車がホームに入ってくる頃には、ドリス・デイの「センチメンタルジャーニー」が頭の中で鳴っていた。
 


旅行が好きだったY氏が海外で買い集めたトランプカード(下)。Y氏の話には様々な文化人や有名人が出て来た。当時は半信半疑で聞いていたが、今回買い取った本の中に挟まっていた江藤淳の書簡(上)。それ以外にも著名人の書簡が見つかった。