福岡古本買取よかばい堂の古本買い取りコラム       福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

福岡古本買取よかばい堂の店主が、福岡の経済誌「フォーNET」に連載中のコラムの過去掲載分です。

片岡義男のこと

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 片岡義男の名を最初に目にしたのは雑誌「宝島」だったと思う。おそらく一九七〇年代の初期だ。植草甚一あたりの周辺にいたコラムニストという認識だった。そのうち雑誌「ポパイ」にもコラムを書き出したり、角川文庫からオートバイ、サーフィンなどの当時の若者の流行・風俗の先端を行くようなイメージを持っていた。FMラジオでも「きまぐれ飛行船」という番組のパーソナリティとして彼の声を耳にしたが、落ち着いた口調でアメリカの音楽についてしゃべり、それもまた彼の「カッコイイ」イメージを増幅するのに寄与していたように思う。

 当時あまりにも風俗の先端にいるようなイメージを抱いていたため、少なくとも自分にとっては表立って読むことがちょっと気恥ずかしいような存在だった。片岡義男を読むなんて言うと、「お前もミーハーだなあ」と言われそうな気がした。

 扱うアイテムがまた、普通の生活をしている普通の日本人には馴染みのないようなものが多かった。たとえばLLビーンのメールオーダーだとか飲み物食べ物小説などあらゆるアメリカ製の見たことも聞いたこともないものがたくさん登場した。

 この人はいったいどういう生活をしているのだろう、なぜアメリカのことをこんなに知っているのだろう、なぜアメリカばかりに関心があるのだろうと気になったが、それについての本人からの説明は当時目にしたことがなかった。後年になって彼が自らの幼少期を語る文章のなかで知ったのは、彼の父親が日系二世だということだ。彼は1939年生まれだからだから戦前の日本で生まれ育っているのだが、日系二世が戦時中の日本に帰国できたというのはどういうからくりなのか私にはよくわからない。その後も日本に住み続け、父親はGHQの仕事をしていたと彼の文のどこかにあったかもしれない。

 その彼の書いたもの中で印象に残っているのは女優の原節子についてのものだ。記憶だけで引用すると彼が中学生ぐらいの頃か、小田急線に乗っていたらあの原節子が乗りこんで来た、座っていた彼は彼女に席を譲ろうと立ち上がると、スクリーンの中の話し方そのままに原節子は、ぼうやは良い子ねあちらのおばあさんに座っていただきましょうね、というようなことを言いその老人を呼びにいき座らせた、というような内容だった。小田急線に原節子が乗っていたのも驚きだが、少年時代の片岡義男原節子の邂逅というのも実に味わい深い。

 数年前東京のブックカフェを何件かはしごしたことがある。最初に行った青山のカフェに片岡義男の古い単行本が置いてあった。写真はよかばい堂店主個人の蔵書なのだが、同じものもあったようだ。「珍しい本ですね」と私が言うと、カフェの店主が面白い話をしてくれた。

「片岡さんもこの店に来て下さったんですが、よくこんな本を持っているね、ぼくも持っていないよ、とおっしゃってくれたんです」なるほど。そうであればこの写真の本の何冊かは作家本人も持っていないものかもしれない。

 二枚目の写真はテディ片岡名義で雑文ライターをしていたころのもの。その頃から英語の指南書のような本も書いていたようだ。 

 近年関川夏央高橋源一郎が彼の文体について言及し、再評価の途上にあるようだ。

 

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