福岡古本買取よかばい堂の古本買い取りコラム       福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

福岡古本買取よかばい堂の店主が、福岡の経済誌「フォーNET」に連載中のコラムの過去掲載分です。

 不動産も扱う古本屋?

 よかばい堂店主はいまゼネコン勤務時代戻ったような仕事をする日々だ。もちろん古本屋を辞めたわけではない。

 話の発端はいつもの通りの本の買い取りから始まる。福岡近郊の、人里離れた山の中の一軒家からお呼びがかかった。行ってみると広い敷地にこぢんまりとした自宅と大きな工房がある。本を査定し買取りを終えたあと、話していると大きな建物は木工製品を作る工房だという。

 だが彼は高齢になったので仕事は辞め山を下りるという。手始めに本を売り、ゆくゆくは家と土地も処分したいらしい。価格を聞くと買えない額ではないので俄然興味がわいてきた。

 木材加工を生業とするだけに、使われている建具類も彼の手作りでデザインもしゃれている。なにより、大きな工房がネット古本屋には魅力的だ。在庫の本を大量に置ける。在庫が増えれば売上も上がる。立地の悪さもネット古本屋にはほとんど問題にならない。宅配業者が集荷に来てくれる場所ならどこだって構わないのだ。

 というわけで、よかばい堂の新事務所として検討したのだが、スタッフの通勤などの難問が解決せず、残念ながら見送ることにした。

 いったんはあきらめたのだが、魅力的な物件だけになかなか頭から離れない。そこで自社で使えなくても貸せばいいと考えて、知り合いの不動産屋の社長に相談したところ、「その額で買えたら面白い投資物件になりそうですね」と言う。では事業用不動産として物件を再検討しよう、そう思いたち法規制を調べるため役所をまわったり、夜間の警備のコスト計算や、建築物の状態のチェックなどゼネコン時代のような仕事をしている、と相成った次第だ。

 こんなことをしていると、古本屋ごときが不動産屋のまねごとをして、などと揶揄する向きもあろう。千昌夫桑田真澄が「歌う不動産屋」「投げる不動産屋」などと言われたことを思い出す。

 ここで少し立ちどまって考えてみたい。本屋の経営は現在古本・新刊をとわずに厳しい。ネット販売はコロナが多少の追い風になっているかもしれないがそれは一時的な要因だから、今まで通りの商売では先細りなので、さまざまな模索が成されている。扱う品目を古物や骨董に広げたり、不用品回収業を兼ねてみたり、古本屋の店先にカフェを併設してブックカフェにしたり、小さなイベントやギャラリーとして店舗を貸したり。古本を核として周辺分野を取り込んでいこうという試みだ。

 であれば不動産というのもあながち不自然ではない。古本を売る人は、他のものも売ることが多い。たぶん引越し・卒業・転勤・家族の死など、人生の岐路に立っているからだろう。雑談するうちに、引越しする、家も売ると語りだす人は多い。だから不動産事業に広がってもおかしくはない。

 実は家を売りたいという話は今回が初めてではなく、不動産業者登録をしようかと思ったことも再三だ。さいわい勤め人時代に取った宅建の資格もあるので開業も可能だ。

 古本屋にもさまざまなタイプがいる。ひたすら本の知識を積み上げて行く求道者タイプの一方で、求道者ほどには本に興味も知識もないが、ビジネスとして古本を扱いそれで一部上場企業をつくったブックオフの創業者のような人もいる。

 ときおり求道者タイプが後者を「ニセモノ」呼ばわりすることがある。純粋でないからダメだという原理主義者はどこにでもいるが、気にすることはない。新しいものは常に既成の基準からはみ出している。よかばい堂は新しいことを模索する店でありたい。

 件の不動産は買うか否かはまだ未定だ。




 

古本屋と建具

「昭和レト ロ」が人気なのは雑誌やレコードばかりではない。デザインの世界でも1960年代や70年代のものがに妙に人気があったりする。時計やラジカセなどから家具にいたるまで、ちょっと前まで時代遅れでダサいと思われていたものが、いまや回周遅れのトップランナーのような趣きだ。いやトップとは言いすぎか。だが人気が出ているのは間違いない。

 今回はちょっと珍しいものの話をしよう。それは建築建具である。建具とは、言ってしまえばドアや扉・窓・襖や障子の総称だ。そんなもの、古本屋といったい何の関係があるというのか?

 

 古本を買いに行ったつもりが、それ以外のものを仕入れて帰ってきた、ということは少なからずある。絵画・掛軸・茶道具などの骨董品は言うに及ばず、レトロががった家具などもずいぶん譲ってもらった。

 先日は門司の旧宅に行って、本はさほど買えなかったが先方さんと話をしていると、本を処分したあとは築九十年のその家を解体するというではないか。そう言われてよく見ると、障子や引き戸に使われている古いすりガラスは中古市場でそこそこ値がつきそうな代物だ。聞くとどうせ解体するのだから、興味がある人に持って行ってもらいたい、お金はいらない、ゴミにするよりも誰かに使ってもらえたら嬉しいという。それじゃあ、ということで知り合いの古道具を扱う知人や古民家再生を手がける工務店などに当たってみたところ、無料なら引き取りたいという大工さんが見つかり、先日門司まで同行願い貴重な建具類を割愛いただいた。

 建具類にはまったく疎い小生、貴重なのはガラス戸、もっと言えばガラスだけだと思っていたのだが、現場に入った大工さんは「昔の職人はいい仕事をしてますねえ」と感心する事しきりで、ガラス戸以外にも手の込んだ細工を施した障子なども譲り受けてきた。

 私としてはガラスだけでも救出できれば商売になるのでは、と考えていたのだが、大工さんからの提案を受けてわが家で使うことにした。

 というのもその大工さん、わが自宅兼事務所のリフォームを担当してくれているのだ。で、プロの目からみるとどうやらいくつかはリフォームで使えるという。

 リフォームと言えば「新築そっくりさん」という商品があるように、新しくするのが人気なのだろうが、予算の限度がある古本屋としては昭和レトロな趣を残したリフォームにしてほしいと工務店にはお願いしていたのだが、今回譲り受けた建具類のいくつかはどうやらそれにぴったりと来るらしい。

 さて出来上がりがどうなるかは楽しみにしているのだが、完成した暁には元の持ち主も呼んで再生した建具を見てもらいたいと思っている。

 

 

 

 

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軽トラックに積まれた100年前の建具類

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この手のガラスはもはや稀少

 

サブカルチャーの本が高い昨今

 古本市場での全集や学術書・文芸書などのいわゆる「堅い本」の下落傾向が止まらない。インテリの必需品のような本、持ち主の知的威信を裏打ちするような本、とでも言おうか、一時期の日本の読書好きの垂涎の的だったような本が安いのである。

 こうやって書いて気づいたのだが、「インテリ」「知的威信」などという言葉自体が近年目にしなくなっており、既に死語になっているのではなかろうか。

 典型的な例として「定本 柳田國男集」(全36巻 筑摩書房)を取り上げてみたい。現在ヤフオクでは全巻揃って四千五百円から一万一千円で推移している。

 十年以上前私がまだ「せどり」をしていた頃、ブックオフの百円コーナーでこの全集のセットを見かけて嬉々として買ったことがある。(余談だが、私はもはや「せどり」ではなくなっており、いまや普通の古本屋だ。その意味でこのコラムのタイトルは羊頭狗肉と言わないまでも、実態と離れてしまったと言えそうだ。松本編集長、何か素敵なタイトルがあったらお願いします!)

 いくらで売ったか忘れたが数万円で売れたのではないか。それが今では下手をすれば四千五百円である。一冊づつ書込み線引き押印がないか、月報はついているかチェックして、段ボールに入れて発送して数百円の粗利では経費を引くと赤字だ。作業を人件費に換算すれば数千円のコストとなる。最高値の一万一千円で売れたとしても大した利益ではない。

 実は古本屋が全集を忌避するのはもう一つ大きな理由がある。それは「場所ふさぎ」だということ。

 全巻セットを36冊も置くなら一冊千円の粗利を生む本を36冊置く方が遥かに効率が良い。なので古本屋が喜んで買う全集ものは三島由紀夫安部公房などわずかなものに限られてしまう。

 代わって活況を呈しているのはサブカルチャー系だ。マンガ、雑誌、グラビア、アイドル、歌謡曲、ポップス、ロックなどいわゆる文化の本筋に対抗して台頭してきたもの。何の変哲もない雑誌に数万円付くこともある。

 ただ誰がどんな理由で買い集めているのかわからないのが、ネット古書店の悲しいところだ。これが対面販売なら客の年齢性別や外見から窺い知れる情報もあるし、常連ともなれば人となりも分かるだろう。なので、なぜそんなに高値が付くのかわからないことが多い。一時期「週刊テレビガイド」や「週刊宝石」のバックナンバーに軒並み数万円付いていたことがあるが、誰がなぜこんな価格まで競っていたのかは謎のままだ。お気に入りのタレントのレアな写真か記事が掲載されているのだろうか、あるいはバックナンバー全冊を完全に揃えることに情熱を注いでいるのだろうか、と想像するばかりだ。

 ただ、ときおり「ははあ、これが人気の要因か」と推理の手がかりを見つけることがある。ヤフオクのタイトルに「週刊◯◯  ◯年◯月号 原田知世 剣道着」とか「週刊ヤング△△  グラビア 上戸彩 スクール水着」などと呼び込みの声のごとく大々的に書き込まれていて、それらが高額に落札されているとなると、高値のカラクリを見つけた気がする。

 いずれにせよ全集を数十冊在庫に抱えておくよりも、はるかに利益率の高い本が雑誌や写真集などに混じっているのだ。サブカルチャーを無視しては商売がしにくい時代になって来ているのは間違いないだろう。

 

片岡義男のこと

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 片岡義男の名を最初に目にしたのは雑誌「宝島」だったと思う。おそらく一九七〇年代の初期だ。植草甚一あたりの周辺にいたコラムニストという認識だった。そのうち雑誌「ポパイ」にもコラムを書き出したり、角川文庫からオートバイ、サーフィンなどの当時の若者の流行・風俗の先端を行くようなイメージを持っていた。FMラジオでも「きまぐれ飛行船」という番組のパーソナリティとして彼の声を耳にしたが、落ち着いた口調でアメリカの音楽についてしゃべり、それもまた彼の「カッコイイ」イメージを増幅するのに寄与していたように思う。

 当時あまりにも風俗の先端にいるようなイメージを抱いていたため、少なくとも自分にとっては表立って読むことがちょっと気恥ずかしいような存在だった。片岡義男を読むなんて言うと、「お前もミーハーだなあ」と言われそうな気がした。

 扱うアイテムがまた、普通の生活をしている普通の日本人には馴染みのないようなものが多かった。たとえばLLビーンのメールオーダーだとか飲み物食べ物小説などあらゆるアメリカ製の見たことも聞いたこともないものがたくさん登場した。

 この人はいったいどういう生活をしているのだろう、なぜアメリカのことをこんなに知っているのだろう、なぜアメリカばかりに関心があるのだろうと気になったが、それについての本人からの説明は当時目にしたことがなかった。後年になって彼が自らの幼少期を語る文章のなかで知ったのは、彼の父親が日系二世だということだ。彼は1939年生まれだからだから戦前の日本で生まれ育っているのだが、日系二世が戦時中の日本に帰国できたというのはどういうからくりなのか私にはよくわからない。その後も日本に住み続け、父親はGHQの仕事をしていたと彼の文のどこかにあったかもしれない。

 その彼の書いたもの中で印象に残っているのは女優の原節子についてのものだ。記憶だけで引用すると彼が中学生ぐらいの頃か、小田急線に乗っていたらあの原節子が乗りこんで来た、座っていた彼は彼女に席を譲ろうと立ち上がると、スクリーンの中の話し方そのままに原節子は、ぼうやは良い子ねあちらのおばあさんに座っていただきましょうね、というようなことを言いその老人を呼びにいき座らせた、というような内容だった。小田急線に原節子が乗っていたのも驚きだが、少年時代の片岡義男原節子の邂逅というのも実に味わい深い。

 数年前東京のブックカフェを何件かはしごしたことがある。最初に行った青山のカフェに片岡義男の古い単行本が置いてあった。写真はよかばい堂店主個人の蔵書なのだが、同じものもあったようだ。「珍しい本ですね」と私が言うと、カフェの店主が面白い話をしてくれた。

「片岡さんもこの店に来て下さったんですが、よくこんな本を持っているね、ぼくも持っていないよ、とおっしゃってくれたんです」なるほど。そうであればこの写真の本の何冊かは作家本人も持っていないものかもしれない。

 二枚目の写真はテディ片岡名義で雑文ライターをしていたころのもの。その頃から英語の指南書のような本も書いていたようだ。 

 近年関川夏央高橋源一郎が彼の文体について言及し、再評価の途上にあるようだ。

 

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レコードの話  

  最近レコードが良く売れる。弊店の在庫は歌謡曲やフォーク・ロックを中心に約八千枚。ほぼ毎日ネットで数枚売れている。たったの数枚ではあるが、年間にすれば千枚ほどになるのだから、古本屋としては立派な商品だ。

 新聞雑誌やネットでレコードに関する記事を目にすることも増えた。人気の理由がいろいろ取り沙汰されている。若いミュージシャンがレコードの音が好きだと言っているとか、あまりにも簡単に音楽が聴けることへの反動だとか、ジャケットの魅力だとか。それぞれ当たっているのだろう。

 二十代のわが家の娘はレコードを知らない世代だが、なぜだか好きなミュージシャンのレコードをネットで注文し、後日レコードの掛け方を私に尋ねにきた。アナログレコード(わざわざアナログというところが、現代風だ)が目新しくて興味を持ったのかもしれない。

 よかばい堂で売っているのは主にEPとLPだ。SPは数枚を除き今のところほとんど扱っていない。街にあるレコードショップもおそらくそうだろう。SPは重く割れやすいので扱いが難しい上、なによりもコレクターが少ないので商品の回転が悪い。売ってくれた人から聞いたのだが、どこのレコード屋からもSPは買い取らないと言われたそうだ。商売として成立させることが難しい商材なのだ。

 弊店でもSPは今のところほとんど売ってないし、仕入れも本のついでに買うだけだから商売といえるほどのものではない。それでもこの数年で数百枚のSP盤がたまってしまいはスペースを占拠し出したので、自分の興味と価格相場を頼りに取捨選択することにした。

 まず、自分の興味で言えばJ-POPの源流を遡る選び方になる。ロカビリーの平尾昌晃や洋楽カバーの雪村いづみ江利チエミなど戦後の歌手が多い。わが敬愛するミュージシャン大瀧詠一が好んだ春日八郎・平野愛子・三橋美智也なども手元に残したい。前回書いた美空ひばりももちろん、笠置シヅ子も当然残す。

 戦前だと「ダイナ」のデイック・ミネや「胸の振り子」(井上陽水がカバーした)の霧島昇、ハワイ帰りで明るい声の灰田勝彦なども対象にしたい。残念ながら先日亡くなった弘田三枝子のSPは見たことも聞いたこともない。はたして存在するのか。彼女のデビューは61年だから当初からEP盤のみしかリリースしなかった可能性が高い。

 価格については、千差万別で戦前・戦後の区分はあまり意味がない。戦前の盤が古くて高いとは限らず、むしろ軍歌・長唄・民謡などは意外と安い。むしろ戦後の歌謡曲の方が人気があって高値になることはザラだ。

 人気があれば値が上がり、希少性が加わればさらに高騰するという、当たり前の結論になる。熱心なコレクターのいる歌手のものはどうしても値が張る。美空ひばりエルビス・プレスリー、などがその典型だ。

 

 

 

 

 



 



  美空ひばりとSPレコード

 数年かけて買い取ってきたSPレコードが大量にあったので重い腰を上げて整理を始めたところ、美空ひばりのものが二十数枚出てきた。

 ひばりのディスコグラフィーを見ると、多くのヒット曲がSP盤時代にでリリースされていることがわかる。SPは一九六〇年ごろまで生産されており、ひばりはこの間に百枚以上新曲をリリースをしている。

 SPとは、よく知られているLPやEPの前に使われていた規格で、25㎝サイズのものが多く毎分78回転というLPの倍以上の速度で回す。収録時間も短い。初期は手巻き(!)の蓄音機で聴かれ、後年は電器を使用した電蓄も登場した。 

 ロックンロールの抬頭期はSP時代だったので、エルビスも平尾昌晃も初期はSPで出していた(初期のビートルズもインドではSPだったと聞く)。

 出てきた二十枚の中に「上海」というドリス・デイの曲があり、聴いてみてびっくりした。彼女のジャズが素晴らしいのは知ってはいたが、これを聴くと若いころ(この曲は十六歳のとき)にすでに完成されている。英語の発音もみごとだ。

 Youtubeで「美空ひばり 上海」で検索すると出てくるので、興味ある方は一度お聞きいただきたい。ひばりの凄さに改めて感嘆するはずだ。洋楽カバーと言えば江利チエミの「テネシーワルツ」を思い浮かべがちだが、彼女のファンには申し訳ないがはっきり言って比ではない。

 還暦世代のわれわれは子どものころはひばりは親の世代の歌手だと思っていた。だがわが両親もそうだったが彼女よりも年上の世代には、ひばりには冷淡ないしは不快感(こまっしゃくれた子供)を持っていた人たちも少なからずいた。

 昭和30年代生まれのわれわれ世代がリアルタイムで聴いたのは「柔」「悲しい酒」」あたりだから、どちらかというと古臭い歌を歌うおばさん歌手だと見ていた。なんせわれわれはザ・ピーナッツや洋楽カバーで育った世代ですからね。

 「真っ赤な太陽」が出た時は、おばさんがミニスカ履いてブルーコメッツと共演なんて急にどうしたんだろうと思っていた。しかしそうではなかった。ただ単にもとに戻っただけだったのですね。

 晩年のひばりは演歌歌手のように言われていたように思うが、決してそうではない。それどころか彼女は元々ブギの女王笠置シズ子の真似をする子供だった。ジャズはもちろん「河童ブギウギ」「ロカビリー剣法」「お祭りマンボ」など洋楽のリズムを取り入れたポップな曲も多い。

 まあ、彼女が演歌歌手か否かという話になると「演歌とは」という話になって収拾がつかなくなるのでここでやめておくが、SPを扱ってわかったのは、戦前にはわれわれがよく知る「演歌」というものはどうやら存在してなかったようだ、ということだ。

 演歌は戦後の文化だろうと思われる。Wikipediaには「1960年代半ばに日本歌謡曲から派生したジャンル」とあるぐらいだ。

 ともあれ、ひばりは「ジャズも上手く歌える演歌歌手」などでは決してない。なにせ演歌という新しいジャンルは、ひばりのデビュ―したずっと後にできたものなのだから。

 

 

よかばい堂、学校の先生から本を買うの巻

 学校の先生は本をよく読む職業だから、買い取りに行くことも多い。大学の研究者には本を読むのが商売のような人もる。一方で小学校の先生は教育方法や指導法についての本が多い。こういう世界にもカリスマ先生がいるようで、「先生の先生」とでもいうべき存在となり注目を集め、独自のメソッドを広める講演会や研修などをやっているグループもあるようだ。意外とそういうものに需要があったりするので、油断がならない。

 高校の先生ともなると、中には研究心が嵩じて研究家としても一家言持っていたり、学会でそれなりの存在感を示している人もいる。そういえば山口昌男網野善彦といった人気学者も一時期高校教師をしていたはずだ。

 そういう人の蔵書はさすがに本格的な研究書が多く、古本屋にとっても査定のし甲斐があることが多い。高校の漢文の先生の本を扱ったときは、その先生地元の大学でも講師をしていたらしく学会でも発表していたようで、中国文学の専門書を大量にお持ちだった。高校生に漢文を教えるためだけなら、こんな本を必ずしも必要ではないだろうというような本もたくさんあるわけだから、むしろ大学教授の蔵書と言ってもいいかもしれない。

 一方で、歴史の教諭の本は買取りが難しい場合が多い。歴史書といっても専門性の高い本もあるが、それは場所と時代を限定すれば専門性は否が応でも高くなるわけだが、高校生に歴史を教えるにあたってはあまり必要ないことでもある。

 だから、高校の教諭の蔵書はどちらかというと「日本の歴史」「世界の歴史」といったタイプの本が多く、これらは一般人も読むため部数も多く古本価格も安いものが多い。ほとんど値が付かないこともしばしばだ。

 某有名私立進学校の数学の先生の蔵書には月刊誌「大学への数学」のバックナンバーや、大学入試の過去問が大量にあった。これは非常にありがたい買い取りで、受験業界は競争が激しく、こうした古い資料は引っ張りだこなのだ。過去問研究や問題作成のネタにするのかもしれない。

 さて、大学の先生の蔵書はバラエティ豊かで面白いことが多い。工学部の教授(故人)の蔵書の場合ご本人が90年前にドイツに留学していたため、当時世界の文化の中心だったベルリンのワイマール文化の香りのするあらゆる印刷物を持ち帰って来ており、これが本よりも面白くまた貴重なものが多かった。

 別の教授は神学を教えていた神父さんで、キリスト教の本は当然たくさんあるのだが、それ以外にも大学紛争の頃の「アジビラ」がぞろっと出てきたりもした。

 何度か書いたと思うが、詩人でもあり仏文科の先生をしていた方の家からは、国内外の詩人・文学者・哲学者の大量の手紙・書簡類が出てきた。 

 一方でなかには本に淫している、と形容するのがふさわしい人もいる。同じ本が何冊もあったり、どう考えてもこんなに大量の本は読めないだろうと思うほど大量だったり。

 とにかく本が好きで仕方ない感じ。この本はなかなか手に入りにくい本なので、古本屋に出た時にすぐ買ったとか、全集を全部揃えるのに大変だったとか、本を研究の対象としてというよりもコレクションの対象とみているような話が多いのが特徴だ。古本屋よりも古本の相場や市場での出品状況に詳しかったりもする。余計なお世話だが、本業の方は大丈夫ですかと言いたくなるような方もいらっしゃった。

 そうかと思えば研究対象の本は本棚に2段分ぐらいに収まりその代わりどの本もボロボロになるまで読み込まれていたこともある。

 総じて大学の先生は本を売り慣れている人が多い印象だ。高校の先生に比べれば図書の購入予算が多いだろうし、研究者同士の献呈本も多いだろう。本がどんどん増えるから頻繁に処分しないと空間を圧迫するので、本を売りなれているのだと思うがどうだろうか。