福岡古本買取よかばい堂の古本買い取りコラム       福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

福岡古本買取よかばい堂の店主が、福岡の経済誌「フォーNET」に連載中のコラムの過去掲載分です。

  美空ひばりとSPレコード

 数年かけて買い取ってきたSPレコードが大量にあったので重い腰を上げて整理を始めたところ、美空ひばりのものが二十数枚出てきた。

 ひばりのディスコグラフィーを見ると、多くのヒット曲がSP盤時代にでリリースされていることがわかる。SPは一九六〇年ごろまで生産されており、ひばりはこの間に百枚以上新曲をリリースをしている。

 SPとは、よく知られているLPやEPの前に使われていた規格で、25㎝サイズのものが多く毎分78回転というLPの倍以上の速度で回す。収録時間も短い。初期は手巻き(!)の蓄音機で聴かれ、後年は電器を使用した電蓄も登場した。 

 ロックンロールの抬頭期はSP時代だったので、エルビスも平尾昌晃も初期はSPで出していた(初期のビートルズもインドではSPだったと聞く)。

 出てきた二十枚の中に「上海」というドリス・デイの曲があり、聴いてみてびっくりした。彼女のジャズが素晴らしいのは知ってはいたが、これを聴くと若いころ(この曲は十六歳のとき)にすでに完成されている。英語の発音もみごとだ。

 Youtubeで「美空ひばり 上海」で検索すると出てくるので、興味ある方は一度お聞きいただきたい。ひばりの凄さに改めて感嘆するはずだ。洋楽カバーと言えば江利チエミの「テネシーワルツ」を思い浮かべがちだが、彼女のファンには申し訳ないがはっきり言って比ではない。

 還暦世代のわれわれは子どものころはひばりは親の世代の歌手だと思っていた。だがわが両親もそうだったが彼女よりも年上の世代には、ひばりには冷淡ないしは不快感(こまっしゃくれた子供)を持っていた人たちも少なからずいた。

 昭和30年代生まれのわれわれ世代がリアルタイムで聴いたのは「柔」「悲しい酒」」あたりだから、どちらかというと古臭い歌を歌うおばさん歌手だと見ていた。なんせわれわれはザ・ピーナッツや洋楽カバーで育った世代ですからね。

 「真っ赤な太陽」が出た時は、おばさんがミニスカ履いてブルーコメッツと共演なんて急にどうしたんだろうと思っていた。しかしそうではなかった。ただ単にもとに戻っただけだったのですね。

 晩年のひばりは演歌歌手のように言われていたように思うが、決してそうではない。それどころか彼女は元々ブギの女王笠置シズ子の真似をする子供だった。ジャズはもちろん「河童ブギウギ」「ロカビリー剣法」「お祭りマンボ」など洋楽のリズムを取り入れたポップな曲も多い。

 まあ、彼女が演歌歌手か否かという話になると「演歌とは」という話になって収拾がつかなくなるのでここでやめておくが、SPを扱ってわかったのは、戦前にはわれわれがよく知る「演歌」というものはどうやら存在してなかったようだ、ということだ。

 演歌は戦後の文化だろうと思われる。Wikipediaには「1960年代半ばに日本歌謡曲から派生したジャンル」とあるぐらいだ。

 ともあれ、ひばりは「ジャズも上手く歌える演歌歌手」などでは決してない。なにせ演歌という新しいジャンルは、ひばりのデビュ―したずっと後にできたものなのだから。