「月刊フォーNET」2011年9月号掲載分
『大森荘蔵著作集第三巻 言語・知覚・世界』
岩波書店 1998年
定価でも7000円以上するクロス装丁函入りの立派な本だ。なぜだか判らぬが、この「第三巻」だけがネット上でも見当たらず、きわめて高価。
理由を探るために、「底本」を探してみる。著作集というのはまさに著作を集めたものだから、もとはといえば普通の単行本として出版されている。これが「底本」だ。
この『大森荘蔵著作集第三巻 言語・知覚・世界』の底本は1971年に岩波書店から出た『言語・知覚・世界』。ところが、こちらの古書はというと、何のことはない、特に高価でもなくごくありきたりの価格でたくさん売られている。
ではなぜ著作集だけが高いのか? 普通に思いつくのは内容に違いがある場合。改稿したり同一テーマの文章をまとめたりというケース。で、巻末の解説に当たってみるが、そんなことはなく、底本をそのまま収録している模様。
結局プレミア化した理由はわからないまま。どうしても著作集として集めたい潔癖症なのか、解説や月報が必要だったのか。想像をめぐらすしかない。
この商売をして思うのは、人は必ずしもホモエコノミクス(経済合理性に基づいて行動する人間)ではないということ。
呉清源という名は碁をたしなむ人には有名らしい。碁をしないよかばい堂店主はこの商売をするまでは目にしたことがなかった。
1914年福建省の生まれ。12歳にしてすでに北京で天才少年と騒がれていたという。大正から昭和に変わるころだ。今もまだ存命で現役だというから、なんと長い囲碁歴であることよ。大戦を挟んで日本と中国を行き来し、国籍も何度も変わっている。現在は二度目の日本国籍を取得し小田原に在住らしい。以上はウィキペディアで仕込んだにわか知識。それにしても、波乱に富んだ人生で、五目並べしか出来ない店主でさえ興味がかきたれられる。
さて本の内容はというと、詰碁が二百題収録されている。その詰碁問題のひとつひとつに四字熟語があてられているというのが洒落ている。「気息奄々」「切磋琢磨」「不倶戴天」などは目にした人もいるだろうが、「虎尾春氷」「六畜不安」「春陽白雪」などとなると初めて目にする人も多かろう。さすがに漢字の国の人だとは思うが、まさか八十歳を過ぎた碁の聖人が(本の出版時に八十三歳)いちいちこんなタイトルを二百題もつけているとは思えない。かといってこんなに漢字の教養がある編集者がいるものだろうか。
そこで前書きで確認すると「牛力力五段は中国でも珍しいほど古典の知識を持っています」とあり、この牛力力五段が四字熟語のタイトルを付けたことがわかる。
巻頭のモノクロ写真に呉清源が妙齢の女性と碁盤を挟んで向き合っている。クレジットを読んで初めて、その女性が取材中の牛力力五段であることを知った。