福岡古本買取よかばい堂の古本買い取りコラム       福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

福岡古本買取よかばい堂の店主が、福岡の経済誌「フォーNET」に連載中のコラムの過去掲載分です。

遠賀郡岡垣町での奇妙な一日

 遠賀郡岡垣町は北九州に行くときに通過するだけで、どういう町なのか全く知らなかった。
 「息子の大好きなビートルズのレコードや古い天秤などが出て来たので見てくれないか」という電話をその町の住人から受けた。
行った先は田んぼに囲まれた一軒家。八十才位のご婦人が出てくるやいなや「いやー、いくら探してもビートルズのレコードが出てこんのですよ」と言い、「父が外国航路の仕事で洋行帰りに買ってきたものがいろいろあります」とゾーリンゲンの剃刀などを出してくる。念のためにネットで相場を見るが対価を支払って買うほどの代物ではない。
買えるものはないので帰ろうとすると、他にもう一軒家がありそこに本があるという。毒を食らわば皿まで、手ぶらで帰るよりはましと思い行ってみることにした。
もちろんこんなドジを踏まぬよう電話の段階でじっくり話を聞いて判断をするのだが、時として失敗することもあるのだ。仕方がない。
それにこの日は午前中に隣町で別の買い取りを終えて、そちらでは書道関係の本をいくつか買って成果を上げていたので、まったくのボウズというわけでもない、と自分に言い訳をする。
次の目的地に向う道中での彼女の話を総合すると、さっきの家は息子のもので本人が海外赴任中につき、時々庭の世話をしに行くとのこと。中古で買った当初は陰気臭かったが内装に1千万ほどかけてやり直して良くなったと息子の自慢話を聞くうちに、妙なところで亡き母を思い出す。
次に向かった家は彼女の自宅で近くの港町にあるらしかった。
田んぼに囲まれた最初の一軒家を出たクルマは助手席の老女の案内でその自宅へと向かう。不思議な光景だった。田んぼからでたらいきなり新しい住宅の立ち並ぶ新興住宅地を通る。同じく近年できたに違いない人気(ひとけ)のない広大な敷地のスポーツ文化複合施設の前を通過するとき、バス停に一人たたずむ少女が目に入った。
さらに行くと海が見え始め漁村に入った。老女がさりげなさを装った口調で自分の家がいかに良くできた普請であるかをしゃべり続けているので、相槌を打っているうちにその自慢の家に着いた。質素な玄関に入るとなぜか120%場違いな大型調理器具が鎮座している。板前をしている次男の置いていったという。
家の中ほどの板の間にちゃちな素人工作の梯子がある。登った先に本があるというが真っ暗な空間があるだけで何も見えない。相手が老女でなければこの時点で引き返していただろう。昔の古本屋は買い取りの際「夜は行かない」「出されたものはお茶でも口にしない」など気を付けていたという。戦後間もないころには買い取り代金を狙う輩がいたらしい。
ふと直観的に警戒したが冷静に考えたら相手は老女一人だ、警戒は怠らないに越したことはないが、人里離れた人家に住む昔話の人食い婆でもあるまいと気を取り直し言われた通りに暗闇の中の壁を力いっぱい押すと、果たしてそこには屋根裏部屋が広がっていた。
結局海外赴任中の息子がおいていったクラシックレコードと洋書を少々買った。
息子さんに黙ってレコード売ってもいいんですか、と念のために尋ねると、「いままで手塩にかけて育てて来たんだから、私が小遣い銭稼ぎぐらいしても罰は当たらんでしょう」と身も蓋もないリアリズムで返され、またしても妙なところで亡き母を思い出す。
老女に別れを告げ、初めて見る海岸線を通り「道の駅むなかた」に着いてやっと現実に戻った気がした。

(写真のコメント)
日下部鳴鶴の額:この日の最初の買い取り。書道の先生と思しき人の家で本の査定が終わると、奥の部屋に通されこの額を見せられた。日下部鳴鶴天保生まれの書家。明治の三筆の一人。

老女から買った息子の洋書。彼女自身・彼女の家・それがある小さな漁港の町とは不釣り合いな洋書の数々。