福岡古本買取よかばい堂の古本買い取りコラム       福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

福岡古本買取よかばい堂の店主が、福岡の経済誌「フォーNET」に連載中のコラムの過去掲載分です。

よかばい堂、バーのマダムの手紙を発見するの巻

 古書の間からは色んなものが出てくる。ヘソクリが挟んであることもあるが、ハガキや手紙も頻繁に出てくる。
 先日は私信の便箋が3通出てきた。封筒はなく便箋のみ。差出人はいずれも同一人物で中洲あたりの飲み屋の女主人と思しき人物。当時の言葉ではバーのマダムとでもいうところか。この「バーのマダム」というコトバにはちょっと説明が必要だろう。
 今のバーと違うのは昭和期にのバーにはホステスがいたこと。『観光福岡とその周辺』という本に中洲の飲み屋がホステスの写真入りで紹介されているが、「クラブ薊」と並んで「バー白い森」の5人のホステスが紹介されている。バーとはホステスがいてそれを口説く楽しみで通う客もいたに違いない。
 ついでに言うと植木等が歌ってるクレイジーキャッツの「ショボクレ人生」は「〽バーや〜キャバレーじゃ灰皿盗みぃ〜」で始まる。これも女がいる酒場としてのバーだろう。同じくクレイジーキャッツの「やせがまん節」では「たまに一人で飲んでりゃ マダムにくどかれる」とあるが、もちろんこのマダムは既婚女性という意味ではなく、飲み屋のママさんという意味だ。映画では草笛光子なんかがはまり役のイメージだ。
 ところでスナックとは今と昔はどう違っていたのだろう。今どきはホステスがおらず、カウンター越しに客対応をし、多くの場合カラオケが置いてある店をスナックというが、昭和40年代はカラオケはなかったはずだ。
 パープルシャドウズの「ちいさなスナック」(1968年)という曲がある。歌詞をみると、どうやらホステスはいない。いるのは「ギターをつま弾く」「君」だけ。その「君」も客のひとりらしい。「ひとりぼっちのうしろ姿」を見せているところからして一人で来店か。
 ということはスナックは客同士の出会いの場でもあったのかもしれない。少なくともこの歌はそういう幻想を抱かせる。いずれにせよスナックには今も昔もホステスはいなかったようだ。
 話を便箋に戻そう。受け取った側(故人。昭和ひとけた生まれ。福岡を代表する企業のエリートサラリーマンを想像してください)が消印だか受取日だかの日付を書いている。
 その日付を手掛かりに書かれた順番をつけ、ご紹介しよう。
 まずは1通目の白眉の部分。「この手紙、酔って読んで下さるのだったら書きたい事が有るのですが、お昼ですのでもちろん素面でしょう。酔って読んで下さる時に書きましょう」とある。いやまいった。素晴らしい。あからさまに思わせぶりな文句だが、こんなことを言われたらフラフラ来るのが男というものだと、きっと職業的に知悉しているに違いない。じっさい受け取った男も死ぬまで手紙を捨てきれなかったのだからうれしかったのだろう。
 2通目。どうやら非番もしくは遅番で女が店にいないときに男が店を訪れたらしい。「もう来て下さらないのではないかと気をもんでおりました。TELして下さればすぐ来るのに逢えなくて残念でした」「チーフが(中略)マッチを持っておかえりに成られましたと聞いたので待ちました。待ちぼうけでしたが店に来て下さっただけでもうれしいでした」
 3通目。「貴男さまはやさしいので店にいて下さるだけで気持ちが休まります」「何時も酔ってる時だけですので今度素面で逢ってみたいです」。
 というところで紙面も尽きそうだ。あとは写真でお楽しみください。