福岡古本買取よかばい堂の古本買い取りコラム       福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

福岡古本買取よかばい堂の店主が、福岡の経済誌「フォーNET」に連載中のコラムの過去掲載分です。

よかばい堂、左利きの故人に感銘を受けるの巻 

90数歳で亡くなった方の息子さんから本の買い取りを頼まれた。父親の残した膨大な本は書斎の本棚にぎっしりつ詰まっている。本が多いので2回にわたっての買取りのなったのだが、最後にアッと驚くような話を聞いたのでご紹介してみたい。

 亡くなった方は工学系の大学教授だったらしく物理・数学・工学の本が並んでいるが、一方で多趣味な人だったらしく書道の本や合唱の楽譜なども多数あった。

 書道はどうやら玄人はだしで、蔵書の量と質もさることながら、表彰を受けたらしいことも蔵書を見ているうちにわかってくる。どうやら旧制高校の頃から書道の達人だったようで九州代表にも選ばれているようだ。

 さらに大量の楽譜も出てくる。音楽も嗜んでいたようだ。これも旧制高校時代にシューベルトの研究をした見事なノートが出てきた。横書きの研究ノートはそのままで出版物かと見まごうばかりの出来栄え。五線譜もきれいに書かれている。

 まあなんと才能豊かな秀才だったのかと感嘆しつつ蔵書を扱っていると、今度は楽譜の間から女声合唱団を指揮する男性指揮者の写真が出てきた。どうやらこれがこの蔵書の持ち主である大学教授のようだ。あれ?左手で指揮棒を持っているぞ。珍しいな。左利きの指揮者か。

 ちょっとまて、ということは書道も左手で書いているのだろうか? いやいや書道などのいわゆる「道」のつく習い事はいずれも左ききはご法度に違いないから、かならず矯正されるはずだ、などと考えながら仕入れた本の整理をしているとなんと「左手書道法」という抜き刷りが出てきたではないか。「抜き刷り」いう耳慣れぬ言葉には説明が必要かもしれない。これは学術誌などに掲載された自分の論文を、そこだけを抜いて薄い冊子の体で製本したものを言う。この「左手書道法」もどこかの雑誌に掲載されたものを抜き出して製本してあった。

 それを読んでやっと謎が解けた。この人はごく幼少期に肩を怪我しそれ以来右手が使えなくなり左手一本でこなしてきたということなのだった。だから、やむをえず書道も左手でやっていたわけだ。むろん矯正のしようもないわけだ。

 それにしてもすごいものだ。生来の利き腕の機能を怪我で失くし、左手で書道でも九州を代表する腕前にまでなり、同時に音楽も愛好し旧制高校から大学の工学部へと進学した。

 よかばい堂店主はこの「左手書道法」にいたく感銘し、2回目の買取りの際に息子さんにその話をしたところ、驚くべき話を聞いたのだった。

 「父は90歳を過ぎて亡くなったのですが、死の直前に体調を崩し整形外科でレントゲンをとったんです。その時に怪我で使えなくなった右肩のレントゲン写真を見た医者が驚いてこういいました。『これは単なる脱臼だ!』と。これには本人も家族もびっくりです。90数年前の怪我は単なる脱臼だったということがその時になってわかった。

 父は九州の地方都市で生まれ育ったので怪我の際はその町の病院に連れていかれたのです。ところが当時その町の病院にはレントゲンもなく詳しいことはわからなかった。痛くて泣き叫ぶ父をその両親は福岡の九大病院に連れて行きました。ところがその時なんと折悪しくレントゲンが故障中で写真が撮れなかったそうです。幼い父は三日三晩泣き通しだったそうです。

 しかし、父はこう言っていました。自分はこの肩のおかげで戦地に送られずに済んだ。お前は数学と物理が得意だから砲弾の軌跡の計算をやっておけと言われ前線に行かなかった。その意味では肩のおかげで命拾いをしたと思う、と」

 なんという壮絶な人生。いや確かに壮絶には違いないのだろうが、蔵書を見る限り書道や合唱をたしなみ究めようという精神には、むしろ静かで安らかな生の悦びを感じてしまうのだった。

(写真の説明)切り抜きの新聞記事の写真。買取り先の顧客の情報なので、特定できないように背中の写真を選んだ。ご覧の通り左手で指揮をとっている。