福岡古本買取よかばい堂の古本買い取りコラム       福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

福岡古本買取よかばい堂の店主が、福岡の経済誌「フォーNET」に連載中のコラムの過去掲載分です。

 よかばい堂、戦国武将の直筆書簡を持ち込まれるの巻

 戦国武将の直筆の書き物が持ち込まれた。古書店は研究者ではないから、本物か偽物かを鑑定する能力はないのだが、商売になるかならないかの「あたり」はつけなければならない。

 まずは持ち込まれたものが「筋がいい」ものか否かを確認する。筋がいいとは、出所や素性がはっきりしているもの。つまり、なぜこの人がそれを持っているかについて納得のいく説明があるかどうかだ。貴重なものであれば、それがなぜその人が持っているのかという必然性がなければならない。逆に「先祖が古物商から買った」などの説明は筋が悪いと言わざるを得ない。

 持ち込んできた人が田中さんだとしたら、田中家の何代か前の田中惣右衛門が〇〇藩の文書掛をしていたので、蔵一つ分の古文書がある、などといった場合はきわめて筋がいい話と言えるだろう。そしてその田中惣右衛門の名前が、〇〇藩の研究書に出てきているようだとますます良い。

 当然そのレベルのものであれば木箱に保管されており、箱書きには田中惣右衛門が手にした経緯が記されていたりするはずだ。

 ここまでくれば、とりあえず専門家に見せて意見を聞くことができそうだ。といっても公式見解ではなくあくまでも個人的な感想ということになる。専門家が公式に見解を出すにはそれ相応の手続ぎが必要となるからだ。

 さて、専門家もどうやらこれなら興味がある、書かれている内容についても判読でき書簡が書かれた目的についても判明した。

 ぜひともうちの図書館で購入したいという話になればもう売れたも同然だが、そうそうとんとん拍子に話が進む場合ばかりではない。その図書館には予算がないということもあるし、どちらかというと別の自治体の方がその武将とゆかりが深いから、そちらにお任せしたいということもあるだろう。

 いずれにしてもそこまで話が進めば東京古書組合が開催する「東京古典会」などという大規模な古書市に出品することで、多くの研究機関等の目に触れる機会がつくれる。逆にいうと、こういう大規模な市に筋の悪い品を出すことは店の信用を落とすので避けるのが賢明だ。さらに市そのものが出品物の査定をするので筋悪の品はそこで跳ねられることもある。

 こうした古書市ではかなり金のかかった写真入り目録を作成して世界中にある得意先の研究機関・博物館・美術館に送付することが通例となっているからだ。これらの機関に所属する研究者やキュレーターたちが、研究資料や展示品を充実させるためにこうした資料に目を通してくれることを期待しているわけだ。

 付け加えると、上にあげた「東京古典会」といった一般公開の古書市では、通常行われている古書店同士の古書市と異なって、一般の人も実物を見て手に取ることが可能だ。市の前日に一般公開しているので会場に行けば誰でも見ることができ、目録で目を付けた品を確認することができる。購入したい場合は組合員である古書店に入札代行を依頼する。

 こういうルートを通ることで、戦国武将の直筆の書簡は、それ相応の価格で某美術館に買い取られていくことになるはずだ。

   古書店は戦国武将の書簡の持ち主である田中さんから手数料を受け取ることで商売は成立する。


















































コロナウィルスについて (その2)

 先月新型コロナウィルスの影響について書いたが、ひと月たったいま読み返すと、遥か昔の話のように感じる。それぐらいこのひと月の動きは激しかった。
 映画館で一席とびに座らされたことを書いたが、いまやそれどころか映画館自体が閉まっている。小倉駅ナカの古本市も開催はしたものの、近所の病院でクラスター感染が出たので会期途中で中断してしまった。この一か月の動きのなんと激しいことか。
  人的な接触を回避するいわゆるソーシャル・ディスタンシング(感染を防ぐために2メートル以上距離を取ろうという戦略のこと)のおかげで、本の買い取りが減ってきたように思う。そりゃそうだ。ウィルスに感染しているかもしれない赤の他人(私たち古本屋のことだ)を家に入れたくないと思うのは当然だろう。
 5月の中旬から天神のジュンク堂の地下にある丸善ギャラリーで予定されている古本即売会も開催が危ぶまれている。東京では紀伊国屋書店が休業に入っているし、ジュンク堂天神店も予断を許さない。いずれにせよ天神ビッグバンにより新しいビルが着工されるため、同店は6月には閉鎖される予定で、「本屋難民」の発生を懸念する声もある(2020年3月3日 産経新聞)。
 新刊本屋や古本屋の閉店が相次いでいる現状に追い打ちをかけるかのように、天神ビッグバンによる大型書店の閉店、さらにはコロナウィルスによる休業要請など、暗澹たる環境の中、福岡の本屋にまつわる明るい話題はないのか!?
 いえいえ、あるのですよ、それが。名付けて「本の無人販売所」。そう野菜の無人販売所と同じように料金箱を設置してあとは放置。いや放置という言葉はよろしくないな。人を置かない無人の店舗。ときおり農家が、いや古本屋が来ては料金を回収し新しい本を補充していくというもの。
 東京あたりではすでに先行事例があるらしいが、これを福岡でよかばい堂もやってみようと思う。すでに準備は九分どおり済んでおり、あとは最終チェックの段階。この号が発売されている頃には開店しているはずだ。場所はよかばい堂事務所の一部を開放して確保。
 もちろん新型コロナウィルス対策として、当面は入場はお一人づつに制限させていただく所存。店員がいないので濃厚接触はおろか淡泊接触?すらなく、感染の心配はきわめて低いのも昨今では売りものにしたいところだ。
 無人にすることで盗難を危惧する声もあるが、店主はさほど心配してない。まず、店の場所が繁華街ではないこと。住宅地なので通りすがりの客は少ない。さらに看板も出さない。告知はもっぱらSNSで行う予定。本当に本が好きな人だけが見つけ出してくれるようなひっそりとした店にする。まずは300円までの安価な本・CD・レコードだけでスタート。うまくいったら少しづつより高額な品も出していくつもりだ。
 併せて有人の店舗も準備中だ。こちらはより高額な本も置くが、店番がいるときだけしか開店しない。
 新規開業する古本屋の店舗がほとんどない中、できるうちに大胆な試みをしてみたい。果たして凶と出るか吉と出るか、一年後にはどうなっているだろうか。
 

コロナウィルスについて

 さて、コロナウイルスである。どこへ行ってもこの話題ばかりだ。先日映画館に妻と一緒に行ったら一席とびに座らされた。老夫婦はいざしらず、ホットなカップルであれば残念だろう。しかしもっと気の毒なのは映画館だ。半分しか座らせられない状態が続くと経営が大変だ。

 弊店のネット部門(と言ってもほとんどこれしか無いのだが)の売り上げは今のところ大きな打撃は受けていない。いやもしかしたら追い風と言っていいかもしれない。若干ではあるが売り上げが伸びている。外出を控えた人たちがネットで買い物をするようになったと聞くが、その影響があるのかもしれない。

 というわけで、コロナ騒動は書店にとっては微風程度の追い風にはなっているようだ。ただ、他の古本屋の売り上げはわからない。というのも組合の市を月に二回開いているのだが、今月はコロナの影響で会場を使用できず、市が開催できないので同業他社との情報交換もできていないのである。

 弊店には店舗がないから想像するだけだが、実店舗を持つ書店でもコロナの影響は限定的ではなかろうか。もともと書店というのはあまり積極的に接客をしない業態だ。ブティックのように店員が客に話しかけてものを薦めることは普通しない。薦めるとしたらPOPに書き込むぐらいだろう。書店員がにじり寄ってきて「この本いかがですか、お薦めですよ」などと言われたら気持ち悪くて二度と行きたくなくなるに違いない。

 とはいっても本を介してウイルスに感染することは理論的にはありうる。コロナウイルスがどのくらいの期間生きている(活性化している)のか知らないが、ネットで購入した本が送られてきたとして、本を梱包する人が感染者だった場合はどうなるのだろうか。郵送されてる間に死んでくれればいいが、そうでなければ感染することもありうるのではないか。気になる人はアルコール消毒でもしてください。

 もちろん書店でもそうだ。というよりも、書店の本のほうがネットよりも本にウイルスが付着している可能性は高い。さっきまでその本を手に取って立ち読みをした人が感染者だった可能性があるからだ。当たり前だがネット販売の本は立ち読みされない。というわけで本屋から帰ってきたら手を洗いましょう。

 それにしても人間(他の動物は知らず)の皮膚とはよくできているものだと感心する。だって、ウイルスが付着しても体内には侵入させずにしっかりと防御してくれて、洗い落とすだけで大丈夫なのだから。

 そんな自粛ムードの中ではあるが3月28日から4月5日にかけて小倉駅で古本市が開催され弊店も出店する。一時は延期も検討されていたが幹事役の書店は予定通り実施すると決断した。こういう時期だからこそ本屋が頑張って本好きの方々にお越しいただこうという考えたようだ。なかなかあっぱれである。

 きのうは大分県臼杵市で買い取りをして、大分市内に泊まった。夜は知り合いの古書店に顔を出しビールを飲みながら(最近はやりのブックカフェという業態なので飲食もできるのだ)雑談していたが、自然とコロナの話になる。大分では先日ある飲食店の従業員の感染が見つかったらしく、その店のある一角には数日にわたって客が寄り付かなかったらしい。

 翌日ホテルで朝刊を開くと臼杵で60代の夫婦が感染したとの見出しが目に飛び込んできた。まさにきのう自分がいたところところだ。徐々に敵が近づいて来るようでどきりとする。なんだか暗くなりそうだが、こんな状態はいつまでも続く訳ではないと考えて楽観視している。

よかばい堂、文学全集が売れた理由を探るの巻

 昨年他界したドナルド・キーンの『日本の文学』が中公文庫から再刊されたとツイッターで目にしたので、たまたま手元にあった同じ著者の中公文庫版『日本の作家』をめくってみたらこんな箇所が目に留まった。
「現在の日本人の全集に対する愛着は相当根強いようであるが、もちろん全集に二つの全く違う種類がある。その一つは文字通りの全集で、特定の作家のすべての作品を包容するものである。(中略)ところがもう一つの種類の全集は、『日本文学全集』というような題名があって、数十冊の叢書のあだ名のようなものである。日本人はどうしてこういう全集をそんなに喜ぶのか私にはよく分からない」
 いきなりこの引用を読まされてもピンと来ない人も多いだろうから説明すると、全集と呼ばれるものには二種類あり、「漱石全集」「ドストエフスキー全集」といった個人全集と、「世界名作文学全集」「近代日本文学全集」といったように多くの作家の著作を集めた全集とがある。個人の全集は世界中にあるが、後者を全集と呼びよく買われている国は日本以外には珍しい、というのがキーン先生の感想のようである。
 今は亡きドナルド・キーン先生の疑問に、僭越ながらひとりの古本屋が説明を試みてみたらどうなるだろうか。

 先生のおっしゃる「叢書のあだ名のような」全集は実は本というよりはむしろ「家具」なのです。その意味では美術全集や百科事典も同じように家具と見做してもいいかもしれません。
 と言うと「ずいぶん極端な意見だ」とか「そんなことはない、実際に読んでいる人もいるはずだ」といったいった異論が聞こえてきそうです。もちろんそれはそうなのですが、なぜあれほどまでに大量に売れたのか(読まれたのか、ではなく)を考えるとやはりその時代の日本人がどういう生活を送っていたのか、どういう時代の変化のなかで生きていたのか、という点から説明するのが最もわかりやすいのではないかと考えます。
 私が古本を扱う仕事で接してきたこの手の全集を処分したがる人の多くは「ほとんど読んでない。開けてもいない」ことを強調し、本の傷みが少ないと主張します。
 読まれていない本、すなわちこれらは本棚に鎮座ましまし今はなき「応接間」で周囲を睥睨することが求められていたのでしょう。
 これらの全集が大量に出版されたのは高度経済成長の頃です。先生もご存知とは思いますが、当時の日本では新築の家には応接間というものがありました。
 そこには迎え入れた来客をもてなすためのシャンデリアやソファとテーブル三点セットなどとともにガラス戸の付いた本棚があります。中を空にしておくわけにはいきませんから、何らかの本で埋めなければなりません。
 そのために重宝されていたのが見映えのする箱に入った文学全集(や百科事典)だったと言うわけです。一冊一冊選ぶ手間もいりません。予約購読をしさえすれば、毎月近くの書店から配本されてきます。
 全巻揃うと数万円数十万円するものも「月賦」だから支払いも楽々。
 かくして日本中に日本文学全集(という名の叢書のようなもの)が大量に売られていったのです。

 もちろんこれはよかばい堂店主が聞きかじった話をつぎはぎしただけのフィクションにすぎないから、キーン先生を納得させることができるかどうかははなはだ疑問である。

 さてここまで書いて気づいたのだが、自説を組み立てることに夢中になりすぎて、全集が戦前から存在していたことをすっかり忘れていた。きっと戦前の全集は「全集=家具説」だけでは説明できないはずだ。いったい戦前の全集が売れた理由は何だったのか。機会があればもう一度チャレンジしてみたいテーマだ。

 

(1505文字)タイトルを除く。


 

 

大分三昧ひと月を送るの巻

 

 

 

 この一か月で大分県内のあちこち、豊後大野市竹田市大分市臼杵市と四回も大分に通ったが、これには訳がある。実はとある三大紙に全面広告を出したのだ。

 とは言え、零細古書店が出すのだから料金は格安だ。まず掲載地域に福岡県は無く、大分県佐賀県筑後地方のみ。

 さらに安さの最大の理由は、大至急広告主を探さなければならなかったから。何かのトラブルで急遽広告面に穴が開いたらしい。大急ぎなので、社長の一声で決まる零細な店に話を持ちかけたのだろう。そんなことが重なって格安で広告が出せた。

 全面広告の効果は大きく電話がたくさん掛かってきた。その中の一本が「本と映画が無暗と好きな医者が死んで残した本が大量にある」というので臼杵までの出張を即決したのだが、我ながら悪くない判断だった。行ってみると予想以上に大量で、結局数回現地入りすることになった。

 何度か行くうちにこちらも博多の手土産を持参していったり、一緒に書斎に入って作業をするうちに互いに打ち解けてきて、作業の合間にお茶に呼ばれて世間話をしたりする。そのうち昼食にも誘ってくれるようになった。

 本音を言えば臼杵のふぐ料理を食べたいのだが、近所の喫茶店で日替わりの手料理を出すと言うので同行してみる。ふぐはまた後日行ってみよう。

 古いお屋敷街の中にあるレトロな、というよりも寂れた喫茶店には彼らの同級生や近所の顔見知りがたむろしており、聞けばこの界隈独居老人が多く日替わりで手料理が食べられるこの店は重宝されているという。

 還暦を過ぎたよかばい堂店主もその店では若者扱いされてしまい、「若い人はたくさん食べにゃ」と料理もてんこ盛りにされる始末。

 客も店員もほとんど80歳前後で、子供世代はほとんど町を出てしまっているらしい。その説明するご本人も40年東京に住んでいて定年後戻ってきたというから、若年層が転出して老人ばかりが残っている現実を感じる。

 臼杵にはあと何度か行くので、いずれふぐを食べるつもりだ。一泊してふぐ刺しとひれ酒を注文するのが理想だが、日帰りで気軽に食べたい場合は回転寿司でもふぐの白子が食べられるのだと地元の情報を教えてもらった。こういう情報は嬉しい。

 数日後には豊後大野市に行った。竹田市の東隣に位置する。竹田は地図で見ると湯布院インターから一般道を走るのが最短距離に見えるが(グーグルマップで調べてもその道を推奨してくるから、多くのカーナビもおそらくそうだろう)、地元民に聞くと大分道で大分米良まで来て「中九州横断道路」を通る方が早いという。豊後大野はその東隣りなので、当然その道を使う。これも地元住民からの情報として聞いて得した気がしたので、ここに書いておこう。

 私が行ったのは豊後大野の緒方駅の近くだったのだが、街中を流れている用水路が素晴らしい景観をつくりだしていて、造り酒屋のある街並みがいっぺんで気に入った。仕事を終え食事をしようとしていたら古い酒蔵を改装した観光施設を発見。その日は日曜日だったこともあり観光客が多かったが、なんと白人系の若い男女3人の観光客も来ていて軽く驚く。こんな田舎まで外国人が来る時代になったのだと、ここでも時代をの空気を肌で感じた。

 

よかばい堂、ネット専業から脱して店舗売りを計画中の巻

 弊店はおもにネット上で販売しているネット古書店だ。古本市などに出店することもあるが、まあ、おまけ程度の売り上げである。

 かといってリアル店舗にまったく無関心かというと、そんなことはない。古本屋(に限らず本屋)の店舗の可能性についてはつねに頭の片隅で考えている。ネットだけで漫然と商売していては早晩行き詰ってしまうのではなかろうかという危機感も当然ある。

 この秋に弊店は井尻駅の近くに移転した。事務所は少し広くなり、敷地内には使われてない場所もあるので、敷地の活用次第では本の店頭販売も可能ではないかと考えている。

 先だって廃業する医院から本と一緒に本棚も引き取ったので、古本屋の店頭に置くには充分すぎるほど見栄えのする本棚も期せずして手に入った。

 その本棚に並べて売る本は、いままで他店に卸していた本を置こうと考えていて、ネット用の在庫は店では売らないつもりだ。このあたりの事情はちょっとわかりにくいので説明してみたい。

 まずは、「他店に卸していた本を売る」ということについては、このコラムで再三書いてきたので説明を省くが、まあとにかく古本屋は自分の不得意とする本を他の古本屋に売るものなのである。それをつづめて他店に本を卸す、と言ってみた。

 不得意な理由はさまざま。単純に自分の好みや専門以外は扱わない(「うちは法律書専門店なのでエロ本は扱いません」など)場合もあるが、小規模な店が膨大なコレクションを買った場合は、本を置くスペースが単純にないという物理的な理由の場合もありえる。

 よかばい堂はネット専業なので、いままではネットと相性の悪い本はどんどん他店に卸してきた。たとえば大きすぎて送料が高い割には安価な本や、ネットにカタログが存在しないのでカタログから作らないと出品できない(本の属性を調べたり写真を撮ったりと時間がかかり出品コストがかさむ)本などがそうだ。いままではこの手の本は他店に卸していたが、これからは自店で売ってみようと思う。

 ネット販売と比較した場合の店売りのメリットは以下の通り。

 店売りでは、本の程度や状態を調べて記述する手間がいらない。ネットで売る場合は本の状態をチェックして「数ページに書き込みがあります」「カバーにしわがあります」「小口にヨゴレが目立ちます」などと細かい瑕疵を漏れなく記載しなければならない。これをしないと購入後クレームがついたり低評価をつけられてしまう。このコストが実にばかにならない。

 これだけコストを掛けて出品しても、数年後に半分しか売れなければ、残りは廃棄処分するしかなく、つまり投入済みの出品コストも本と共に捨てることになってしまう。もったいない話だ。だから出品コストが低い店舗売りは魅力的なのだ。

 もうひとつ。すでにネットで売っている大量の在庫を店で売らないのか、という問題。これをしない理由は在庫管理が煩雑になりすぎるから。

 ネットで本が売れると、在庫から探し出すのだが、このピッキングと呼ばれる作業を容易にするために弊店では出品した順に本棚に詰めている。これだと棚には無作為に本が並ぶだけでジャンルも分野もばらばら。本屋の店頭の棚としては使い物にならない。かといってジャンルごとに分けたのではピッキングが大変だ。もっと言えば客が本を抜いたあと別の場所に戻しでもしたらピッキングが絶望的に困難になる。なのでネット売りの在庫は店では売らない。

 そういうわけで時代に逆行してネット古書店リアル店舗に挑戦することになりそうだ。この話にはまだ続きがある。次回にそれをやってみたい。




秋の佐賀平野にドライブがてらの仕入れの旅に行くの巻

 佐賀からの電話で、日本史の教師だった夫を亡くしその蔵書を売りたいと言う。

日本史の本は相当に専門性が高くないと買い取りが難しい。高校の先生は研究者ではないから、狭い範囲を掘り下げた研究書は期待できない。古本屋から見れば、そういう部数の少ない専門書は値崩れしないのでありがたい。しかし高校の日本史では歴史の大きな流れを教えるわけだから「岩波講座 日本歴史」のようなものが蔵書に多いはずだ。残念ながらこうした本は発行部数が多く古本相場も値崩れしていることが多い。

 電話で蔵書内容を聞くにつくかぎりは、まさにそのような蔵書が多いので、わざわざ佐賀まで出向いてもはかばかしい成果が見込めるのかはなはだ疑問なのである。古本屋にとって仕入れは重要だが、わざわざ一時間かけてたどり着いた先で、仕入れるものが何もないというのはぜひとも避けたいところだ。

 そこで「本以外にもレコードなどの古いものもお見積りしますよ」と言うと、「ちょうど断捨離中なので納屋からいろんなものが出てきます」というではないか。佐賀の納屋なら期待できそうだ。

 その日はたまたま時間がたっぷりあり秋日和で気持ちよくドライブできそうだったし、本以外に面白いものも出てくるかもしれない。出てこなかったら、それはそれでドライブしたと思えばいいではないか。

 果たして行ってみると秋の陽を浴びての佐賀平野は実に快適で、絵にかいたような農村地帯にある一軒家にたどり着いた。

 20年前に建て替えたというその家には薪ストーブが備え付けられておりなかなか素敵なつくりだ。めざす本棚はそのストーブの横に置かれていたのだが、案の定買える本はそれほど多くはない。郷土史の本数冊を抜かせてもらい、念のために聞いてみた。

「じつは本よりも古い資料、たとえば戦前の写真や郵便物などが買えることはよくあるんですが、そういうものの処分の予定はありませんか?」

「ああ、ありましたけど、もうほとんど処分してしまいました。このストーブの焚き付けにして燃やしましたよ、わはは」と高校教師の未亡人は豪快に笑い飛ばす。

 しょうがない、よくあることだ。ここでいちいち残念がっていては身が持たない。そう言ってもいいほど頻繁にある話なのである。気を取り直して、納屋を見せてもらうことにする。

 さすがにいろんなものが出てくる。古いガラス戸から始まって足踏み式のミシン、木の根っこの置物、食器・漆器などなど。その中で目を引いたのは昔の牛乳ビンが2ダースほど入る牛乳配達の箱だ。むかし牛乳配達が自転車の荷台に括り付けていたものだ。横には「グリコ」と書かれているその箱を二つ仕入れた。

 結局大した仕入れにはならなかったが、それは先刻わかっていたこと。ドライブしに来たのだと割り切ろう。

 帰りしな未亡人にどこかこの辺で見るところはないか聞くと、九年庵という紅葉の名所があるという。今は11月だしいいタイミングだと、帰りに寄ってみることにする。未亡人は「今はハイシーズンだから駐車場が空いているかなあ」とおっしゃるが、行ったら行ったでどうにかなるだろうと思ったのだが甘かった。ものすごい人出だった。佐賀でこれほどの混雑を見たことはないというレベルだったので見物はあきらめて秋の陽を浴びながらのドライブで福岡に戻ることにした。