福岡古本買取よかばい堂の古本買い取りコラム       福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

福岡古本買取よかばい堂の店主が、福岡の経済誌「フォーNET」に連載中のコラムの過去掲載分です。

よかばい堂、文学全集が売れた理由を探るの巻

 昨年他界したドナルド・キーンの『日本の文学』が中公文庫から再刊されたとツイッターで目にしたので、たまたま手元にあった同じ著者の中公文庫版『日本の作家』をめくってみたらこんな箇所が目に留まった。
「現在の日本人の全集に対する愛着は相当根強いようであるが、もちろん全集に二つの全く違う種類がある。その一つは文字通りの全集で、特定の作家のすべての作品を包容するものである。(中略)ところがもう一つの種類の全集は、『日本文学全集』というような題名があって、数十冊の叢書のあだ名のようなものである。日本人はどうしてこういう全集をそんなに喜ぶのか私にはよく分からない」
 いきなりこの引用を読まされてもピンと来ない人も多いだろうから説明すると、全集と呼ばれるものには二種類あり、「漱石全集」「ドストエフスキー全集」といった個人全集と、「世界名作文学全集」「近代日本文学全集」といったように多くの作家の著作を集めた全集とがある。個人の全集は世界中にあるが、後者を全集と呼びよく買われている国は日本以外には珍しい、というのがキーン先生の感想のようである。
 今は亡きドナルド・キーン先生の疑問に、僭越ながらひとりの古本屋が説明を試みてみたらどうなるだろうか。

 先生のおっしゃる「叢書のあだ名のような」全集は実は本というよりはむしろ「家具」なのです。その意味では美術全集や百科事典も同じように家具と見做してもいいかもしれません。
 と言うと「ずいぶん極端な意見だ」とか「そんなことはない、実際に読んでいる人もいるはずだ」といったいった異論が聞こえてきそうです。もちろんそれはそうなのですが、なぜあれほどまでに大量に売れたのか(読まれたのか、ではなく)を考えるとやはりその時代の日本人がどういう生活を送っていたのか、どういう時代の変化のなかで生きていたのか、という点から説明するのが最もわかりやすいのではないかと考えます。
 私が古本を扱う仕事で接してきたこの手の全集を処分したがる人の多くは「ほとんど読んでない。開けてもいない」ことを強調し、本の傷みが少ないと主張します。
 読まれていない本、すなわちこれらは本棚に鎮座ましまし今はなき「応接間」で周囲を睥睨することが求められていたのでしょう。
 これらの全集が大量に出版されたのは高度経済成長の頃です。先生もご存知とは思いますが、当時の日本では新築の家には応接間というものがありました。
 そこには迎え入れた来客をもてなすためのシャンデリアやソファとテーブル三点セットなどとともにガラス戸の付いた本棚があります。中を空にしておくわけにはいきませんから、何らかの本で埋めなければなりません。
 そのために重宝されていたのが見映えのする箱に入った文学全集(や百科事典)だったと言うわけです。一冊一冊選ぶ手間もいりません。予約購読をしさえすれば、毎月近くの書店から配本されてきます。
 全巻揃うと数万円数十万円するものも「月賦」だから支払いも楽々。
 かくして日本中に日本文学全集(という名の叢書のようなもの)が大量に売られていったのです。

 もちろんこれはよかばい堂店主が聞きかじった話をつぎはぎしただけのフィクションにすぎないから、キーン先生を納得させることができるかどうかははなはだ疑問である。

 さてここまで書いて気づいたのだが、自説を組み立てることに夢中になりすぎて、全集が戦前から存在していたことをすっかり忘れていた。きっと戦前の全集は「全集=家具説」だけでは説明できないはずだ。いったい戦前の全集が売れた理由は何だったのか。機会があればもう一度チャレンジしてみたいテーマだ。

 

(1505文字)タイトルを除く。