福岡古本買取よかばい堂の古本買い取りコラム       福岡の経済誌「月刊フォーNET」連載中!

福岡古本買取よかばい堂の店主が、福岡の経済誌「フォーNET」に連載中のコラムの過去掲載分です。

貴重な資料がベストセラーを生むまで 

 もしもこの世から古本屋がなくなっても、困るという人はそれほど多くないかもしれない。安い本が買えなくなってちょっと不便だという人が多少はいるかもしれないが。

     一方でこんな例はどうだろうか?   磯田道史という歴史学者の『武士の家計簿』という少し前のベストセラーの前書きにこんな話があった。手元に本がないので記憶だけで書くのだが、著者がこの本を書くにあたって参考にした史料を入手した時のエピソードだ。

  神田の古書店から送られてきた新入荷本の目録を見て、これこそ自分が探しているものに違いないと直感した彼は代金10数万円を握りしめてその史料を買いに走った、という内容だった。

  段ボール箱にまとめて放り込まれていた古文書の束を入手した彼は、それを読み込み研究成果をこの本にまとめた。

 めでたく本は売れベストセラーとなり、それだけではなくきっと学術論文にもまとめたに違いないから学者としての本業にもその古文書は貢献したに違いない。

 もうお判り頂けたと思うが、こんな史料は新刊本屋には決して売られてはいない。古本屋でしか扱いようのない種類の古文書だ。

   こういう研究者たちにとっては、古書店はなくてはならない存在だろう。

 結果的に段ボールいっぱいの古文書がベストセラーとなり著者にとって学術的な成功だけでなく、多大な経済的利益をももたらしたのだろう。もっと言えば、日本史の歴史学の発展に寄与したと言えるのかもしれない。

   この古文書はきっとどこかの旧家の蔵の中で長いこと眠っていて、蔵を解体するか何かのきっかけで売られることになったのだろう。地元の古本屋か古物商がその整理と引き取りのために呼ばれたに違いない。

  もちろんその段階ではこの古文書がベストセラーを生み出すことになるとは誰も知らない。

  それでも誰も捨てなかったのが幸運だった。地元の古本屋も、ひょっとしたら誰か物好きが買うかも知れない、ぐらいの軽い気持ちで引き取ったのだろうか。高くても数千円程度で買い取ったのではないかと推測する。

  その古本屋(Aと呼ぼう)は自分で売ろうにもその古文書の正体がよく判らない。値を付けようにも大昔の崩し字はちんぷんかんぷんだ。自分の店で売ることは諦め他の古本屋に売るために業者同士の交換会に出品した。落札した古本屋BはAよりも古文書にかけては多少目が効き、難解な草書体も少し読めるのでいつ頃の時代のものなのか、何について書かれた文書なのかぐらいはわかった。これなら東京の交換会に出せば神田神保町の日本史専門の古書店Cが数万円で落札してくれるはずだと値踏みした。なんせC書店は歴史研究家の多くを得意先に持っているからもっと高い値で売るだろう。東京の交換会に出品されたその史料は、B書店の思惑通りC書店によって数万円で落札された。C書店はさすがに古文書を扱いなれたもので、江戸期から明治にかけて特定の武家の家計を扱った史料であることを確認し、その旨を表記して目録に掲載し全国の日本史研究科へ送付した。

  多分に空想を交えたが、「利益」というインセンティブが働くことで貴重な史料が切実にそれを必要とする人の手に渡っていくメカニズムを説明してみた。

  さっき「それでも誰も捨てなかったのが幸運だった」と書いたが、逆に言えばこれほど幸運な例は珍しいとも言える。

  よくあるのは、こんな古臭いゴミみたいなものは古本屋も買わないだろう、と思い込みで所有者自身が廃棄してしまう例だ。弊店でも新聞広告やブログで貴重な資料を捨てる前にご連絡ください、と呼びかけてはいるが、捨てられてしまう例は後を絶たない。